第5回 ヨガを深める勉強会

今日はしっかり降った雨の一日。
連休中でもありますね。
みなさまいかがお過ごしでしたか。

「ヨガを楽しむ教科書」を使って学ぶ勉強会も
無事に5回目を終えました。

今回はしっかりとヨガ哲学のところへ
入っていきました。

終わったところは…
106、110、116、118、164、186、
188、190、192、194、198、です。

今日の話と繋がるので1〜4回の間で
学んだところにも戻ったりもしました。

行きつ戻りつ。

私もずっと学びの途上であり
何を悟っているわけでもありません。

ですが、この教科書に書いてあること
またヨガスートラに書いてあることを
実践して感じてきたこと
変化したことをエピソードと共に
お伝えしました。

ヨガの哲学を学び、
何をどう実践し変化してきたのか。

「苦」との向き合い方を学ぶヨガ哲学。

その苦はどこからやってきて
どうして自分を苦しめるのか…

苦しい時は、周りの人や環境が
自分を苦しめているように思うのですが
結局、自分の中にあるものが
引き出されているだけに過ぎない。

自分の考え方の癖や偏り…
嫌なことを避けたり、周りを責めたり
起きている現象だけの解決を試みても
的外れだったりもします。

身体の一部分に痛みが出た時
例えば、
首が痛いから首だけを揉んだり温めたりしても
一時的には痛みは緩和されても

その痛みの原因を解決しないと
何度もいろんなところ、または
あちこちに痛みがやってくるのと
同じだと思うんです。

その痛みとの向き合い方や受け入れ方、捉え方など
自分の癖・偏りが出てきます。

いろんなジャッジをせずに
今の自分をありのままに観察することは
言葉で言うのは簡単で誰でもできそうですが
癖や偏りがあるためなかなかできない。

何が邪魔をしていると思いますか。
その癖や偏りってなんでしょうか。

それは
自分への強い「執着」
煩悩です。

煩悩という欲は生きていくために
最小限は必要ですが、それ以上に
自分の利益や快楽に対する執着が膨らみ

自分への執着が強くなりすぎた結果
調和が崩れ、それが苦しみや痛みという形で出ます。

言うは易しです(しつこいですが…)
癖や偏りは簡単に修正できません。

自分が正しいと思い(←執着)
そもそも気づくこと自体が難しいのです。

少なくとも思考している間は偏ったまま思考するので
首を揉んだり温めたりしている時と同じ状態です。

内側を静めて自分を俯瞰することで(←放棄)
やっと少しずつ気づき始めます。

何かをギューと握りしめていることに…


(決して簡単なテーマではないけれども敢えて)
生があるから死はいずれ必ずやってきます。

でも生は輝かしいもの、死は忌み嫌うもののように
どちらか片方をまるで”ない”かのように覆い隠したとしても
それは私たちの中に”ある”のだから必ず
どこかのタイミングで向き合うことになる。

生と死も調和の中にあり
死を真剣に捉えるからこそ
生が本当の意味で輝くのだと思います。

私たちはこの宇宙の一部であり
頭の中がそれを忘れたとしても
生命は調和する方へ向かっていくと思います。

大きくそこが乖離していくと人は壊れ
最終的には人類全体、地球全体が
壊れていくことになると感じます。

世界のどこかで起こる出来事は
どこかの話ではなく
誰かの痛みや苦しみはその人一人だけの
問題ではなく

自分の幸せを願うならば
まず周りの幸せや全体の平安を願うこと。

コロナ禍で改めて強く感じたことでもあり
戦争やテロで苦しむ人がいることも
今現在同じ世界で起きていることです。

だからこそ自分にできることを、できる範囲で
愛を持って最善を尽くしていく
それぞれに与えられたミッションだと
ヨガの学びの中で私はそう感じてきました。

それを実践していくことが
結局無理のない生き方に繋がると感じています。

まだまだ学びを深めている途上ですが
自分と周りの幸せや平安を心から願いつつ
肩肘張らずに生きることができている、今。

これが瞑想を実践し継続してきた今現在の
私なのだと感じています。

さて、
ヨガを深める勉強会、次回は10月15日です。

空きもありますのでどなたでも興味があれば
ご予約くださいね。

体調を崩されませんように。
風邪を引かれませんように。






ヨガスタジオOasis
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